弱きを助け

 ロンドンに店舗を構えていた時期は、毎月のようにロンドンに通っていました。ロンドンの地下鉄では、自分の前にお年寄りや妊婦さんが立たれると、大人も学生も当然のように席を譲ります。一方昨今の日本では、公共の乗り物での譲り合いのマナーの低下が、よく問題視されています。

 日本では、自己主張よりも周囲との調和を重んじる和の精神がずっと受け継がれてきました。そこにおいて弱気を助けるのは当たり前。例えば、障害をもって生まれた子は、「福子」と呼ばれ、その子を育てると、家庭を超えて村全体に幸せをもたらすと信じられて、みんなで守ってきたものでした。

 それが、敗戦後は欧米の個人主義が入ってきて拡がる過程で、何をするのも個人の自由だという間違った拡大解釈が蔓延、気がつけば弱者への無関心を招いたのだと思います。

 しかし、本来は、個人主義も対等に戦えない弱き者には誰もが助けの手をさしのべるという前提の上に成り立っているのです。