無の境地
私は座禅や瞑想が好きで、よく目を閉じてゆっくり座ります。音を取り入れた瞑想法を好んで実践しています。例えば、仏壇にある鐘を借りて「チーン」と鳴らし集中。
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日頃は、いろんなことを考えて心の中は「多心」ですが、鐘の音に集中すれば「一心」になれます。そして、その「一心」となっている対象の音が消えていくと、そのまま心は「無心」に入れるというわけです。心の中に周囲の音とか諸事が浮かんでくるまでのほんのわずか1秒にも満たない時間かもしれませんが、「無心」を体感できます。
「無」とは心の曇りがはれて澄み切った状態なので、我々を始め宇宙の万物を動かしている氣が最大限に入ってきます。「氣」は物を動かす力だけじゃなく宇宙を司る知恵でもあるわけですから、「無」になることは宇宙から動力だけじゃなく知恵を授かることができるわけです。所謂「ひらめき」ってやつですね。